ロシアの第二の都市「サンクトペテルブルク」ってすごい美しい街だって聞いたんだ。どんな街なのか教えてくれよ。
はい、歴史的な建物が多く本当に美しい街です。歴史、行き方、見どころなどを紹介しますね。
サンクトペテルブルクについて
- サンクトペテルブルクは、ロシア西部のネヴァ川河口デルタに位置する都市、人口は約540万人、首都モスクワに次ぎロシア第2の都市である。1917年までロシア帝国の首都だった街です。
- 都市の名は「聖ペテロの街」を意味する。これはサンクトペテルブルクの建設を命じたピョートル1世が自分と同名の聖人ペテロの名にちなんで付けたもの。
- 今回は歴史都市サンクトペテルブルクの見どころを10選ご紹介します。
製ペテロについては以前「ヨーロッパを回るなら知っておくべき聖人10名!」というタイトルのブログに書いてみましたので興味があれば読んでみてください。
サンクトペテルブルクの行き方
マイルプログラム | 航空会社 | 提携航空会社 |
---|---|---|
ワンワールド | フィンエアー(乗り継ぎ) | JAL、ブリティッシュ・エアウェイズなど |
スカイチーム | KLMオランダ航空(乗り継ぎ) | デルタ航空、チャイナエアラインなど |
スカイチーム | エールフランス(乗り継ぎ) | |
スカイチーム | アエロフロート・ロシア航空(乗り継ぎ) | エールフランス、KLMオランダ航空など |
スターアライアンス | ルフトハンザ・ドイツ航空(乗り継ぎ) | ANA、ユナイテッド航空など |
スターアライアンス | スカンジナビア航空(乗り継ぎ) |
直行便は無いようだけど、ヨーロッパ中の主要都市から行けるようだな。これならそんなに遠くないぜ。やっぱりモスクワ経由が無駄がないだろうな。
サンクトペテルブルクの歴史(ウキペディア抜粋)
- ロシア帝国時代
- 1700年に始まった大北方戦争でスウェーデンの要塞を陥落させ、ピョートル1世は、1703年5月27日にペトロパヴロフスク要塞の建設を開始した。これがサンクトペテルブルクの歴史の始まりとされ、現在では5月27日は建都記念日として市の祝日となっている。
- 1800年、サンクトペテルブルクの人口が22万人に達する。フランス皇帝ナポレオン1世の侵攻による1812年の祖国戦争において第2の都市モスクワが壊滅したがサンクトペテルブルクは戦火には見舞われなかった。
- 1905年10月、サンクトペテルブルクでソビエトがゼネストを起こす。1907年、英露協商。1910年には人口は190万人に達していた。
- ソビエト連邦時代
- スモーリヌイ修道院にてソビエト政権独立宣言が行われ、首都がモスクワに移されるまでソビエト政府の中枢であった。1924年にロシア革命の指導者ウラジーミル・レーニンが死去すると、その功績を称えサンクトペテルブルクは「レーニンの街」の意であるレニングラードに改名された。
- ロシア革命以降でレニングラード(サンクトペテルブルク)出身者がロシアのトップに登り詰めたのはソ連崩壊後の2000年にロシア大統領に選ばれたウラジーミル・プーチンが初めてである。
街の名前はサンクトペテルブルクに変わったが州の名前はレニングラード州は残っていて、サンクトペテルブルグにはレニングラード州の行政府があります。
哲太郎 ロシア旅行 旅コラム
ペテルゴフ(夏の宮殿)に入れない!?
- サンクトペテルブルクの思い出は何と言ってもペテルゴフ(夏の宮殿)からとんぼ返りで嫁さんと喧嘩。
- 船着き場に着いた時、次の船の出発まであと1分。これを逃すと次の船は1時間後。財布には日本円しかない、カードはある。船代はカードで買って早速乗り込む。
- 「ホントに大丈夫?」って心配する嫁さんをよそに、向こうに着いた時の入園料はカードで払えるだろって、高を括っていたがカードは使えず、ペテルゴフに入れて貰えない。乗ってきた船でそのまま帰るしかない。
- 「だから貴方は無計画っていうのよ」って怒る嫁さんにひたすら謝る帰りの船の40分間。辛かった。笑
これは本当に辛かった。まさかペテルゴフ(夏の宮殿)の入場にクレジットカードが使えないとは思わなかったです。やっぱり行き当たりばったりは駄目ですね。
哲太郎 ロシア旅行日程&ルート
- 成田 ー モスクワ(3泊)
- モスクワ ー サンクトペテルブルク(寝台列車で移動3泊)
- サンクトペテルブルク ー モスクワ経由 ー 成田
サンクトペテルブルクの見どころ
エルミタージュ美術館
- 世界三大美術館の一つであり、世界遺産にも登録された「エルミタージュ美術館」。ロマノフ王朝の女帝エカテリーナ2世が、1775年に隠れ家(エルミタージュ)として建設しました。
- 歴代のロシア皇帝が美術品を収集し、コレクションは約300万点とされ、ルネサンスから印象派まで、貴重な美術品の数多く展示しています。
世界三大美術館はパリの「ルーブル美術館」、ニューヨークの「メトロポリタン美術館」、そしてサンクトペテルブルグの「エルミタージュ美術館」です。
カザン大聖堂
- 19世紀初め、皇帝パーヴェル1世が聖堂の建設を命じ、サンクトペテルブルクにおけるロシア正教の中心「カザン聖堂」 。両翼に広がる柱が印象的な外観はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂を模したと言われます。
- 内部は荘厳な雰囲気で、タイミングが良いとミサを見学でき、聖歌隊の天使のような歌声が聞くことができます。
カザンとはロシア正教会で最も重要な聖人の一人カザン生神女(カザン聖母)のことです。
聖イサアク大聖堂
- “サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群“として世界遺産に登録された「聖イサアク大聖堂」。高さ102m、面積800平方mを誇る世界最大級の教会です。
- 上から見ると十字になるロシア・ビザンチン建築様式で、大きなドームと聖堂を囲む48本の大きな円柱がに印象的な聖堂です。
ニネヴェの主教・シリアの克肖者イサアクは、7世紀(生没年の詳細は不詳)の間に生きたネストリウス派教会の主教・修道士。出生地は現在のカタール。正教会で聖人という聖人です。
血の上の救世主教会
- 派手な装飾と玉ねぎ型のクーポラが特徴の「血の上の救世主教会」。1881年、皇帝アレクサンドル2世がこの場所で暗殺され、その死を悼み建てられた教会です。
- 内部はモザイクタイルのイコン画で、壁から柱、天井の全てを埋め尽くされ、ロシア装飾建築の最高傑作と評価されています。
玉ねぎ型のクーポラはモンゴル帝国の影響と言われています。モンゴル帝国は中央アジアを中心に、モスクワを含むヨーロッパ・中東・インドに達するほど広大な領土を持っていました。
エカテリーナ宮殿
- エカテリーナ宮殿は歴代の女帝に使用された夏の宮殿で、美しい装飾で彩られた外観、館内では「琥珀の間」が人気です。
- ツァールスコエ・セロー(皇帝の村)と呼ばれるロシア帝国時代の皇帝の避暑地にあり、「サンクトペテルブルグ歴史地区と関連建造物群」として世界文化遺産に登録されています。
ターコイズブルーっていうんでしょうか。外観の青が美しくて入る前に暫く見入ってしまいました。中の装飾も素晴らしかったです。
ネフスキー大通り
- サンクトペテルブルクの中心部をほぼ東西に通る「ネフスキー大通り」。18~20世紀初頭にかけての帝政ロシア時代のさまざまな建築様式の建物が並んでいます。
- 文豪ドストエフスキーやトルストイの邸宅や、ロシア料理の名前の由来にもなったストロガノフ伯爵の宮殿など歴史的な建物も見ることができます。
サンクトペテルブルグのメインストリート。美しい建物が建ち並び、色々なお店が並んでいるので、買い物にお勧めのストリートです。
トロイツキー大聖堂(至聖三者大聖)
- トロイツキーとは、三を意味し、カトリックでいうところの三位一体大聖堂にあたります。
- 1835年に建築家スターソフによって建設、上から見ると十字型の帝政ロシア様式教会で、木造建築ですが中央ドームの高さは80mもあります。
三位一体とはキリスト教の根本教義の一つで,三位はすべて本質(ウーシア)において同一であり,唯一神はこの三つをもつ実体であるという考え方です。
ペテルゴフ(夏の宮殿)
- 18世紀にピョートル大帝が建設した「ペテルゴフ(夏の宮殿)」はサンクトペテルブルクの郊外にあり、高速船で30~40分位掛けて向かいます。
- 大宮殿とたくさんの噴水がある広大な庭園で「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」の1つとして世界遺産に登録されています。
ここが上に描いた「旅コラム」の現場です。クレジットカードが使える「だろう」ではなく、使えることを確かめてから行きましょう。笑
ペトロパブロフスク要塞
- 18世紀初頭、ピョートル大帝が外敵から街を守るための要塞として建設した「ペトロパブロフスク要塞」。
- その後、この要塞は監獄として使用され、現在は街の歴史を学べる博物館として観光客に人気です。
街を守るための要塞→監獄→博物館ってパターン、ヨーロッパでは結構多いんですよ。笑
クロンシュタット(海の聖堂)
- クロンシュタットはサンクトペテルブルク沖のコトリン島にある軍港都市。
- 写真はクロンシュタットにある「海の聖堂」。美しい装飾、内部も荘厳で一見の価値ありとの事です。
私は行けなかったんですが、行った人に聞いたら建物自体も内部も美しく、絶対おすすめとの事でした。私も機会があれば行ってみます。
サンクトペテルブルク まとめ
- ペトログラード、レニングラード、サンクトペテルブルク、歴史と共に街の名前まで変わってきた街。それぞれの時代の歴史的建物が色濃く残る街。
- ロシアの歴史的な建物はとにかく「派手!」。初めからこうなのか解らないが、色とりどりの建物が街に溶け込んでいる。派手だがすごくいい感じ。
- この街には寝台列車で来たが、我々が乗ったB寝台は男女同室の車両だった。真夜中に嫁さんの叫び声。誰かが嫁さんの鞄を取ろうとしたとの事。モスクワのスリといい、寝台車の泥棒といい、街は綺麗だが治安はあまり良くないのかも知れない。
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