困っ太くん
イタリアのミラノって最先端のお洒落な街ってイメージだよな。どんな街なのか教えてくれよ。
哲太郎
ミラノはドゥオーモやミケランジェロの最後の晩餐を始め、歴史的な見どころが多い街です。歴史的な街でありながら、最先端のモードが花開いた街。そのギャップがたまらない街です。
ミラノについて
- イタリア経済、文化、世界の最先端モードの発信地として発展を続けているミラノ。歴史的には、いろんな国に支配されたり、独立してミラノ公国の首都として栄えたり、ルネサンス期にはフィレンツェと並ぶ芸術文化の中心地として黄金期を迎えました。
- そんなミラノの歴史、行き方、見どころを紹介させていただきます。
ミラノの歴史
- 中世を通じてミラノは大司教に統治されたが、都市の独立性をある程度保ちながら、下層の封建貴族たちは次第に大司教の世俗的支配から脱していった。11世紀にはそうした貴族たちがミラノを富裕な自治都市へと変化させ、成長の回復と神聖ローマ帝国からの独立を果たした。
- 中世後期、ミラノはヴィスコンティ家のミラノ公国になり、その支配は1447年まで続いた。1450年には軍人フランチェスコ・スフォルツァが権力を握り、ミラノの統治者としての地位を固めた。しかし、15世紀の北部イタリアの拡張時代後の1500年、フランス軍がこの町を占領。1535年にスフォルツァ家の血筋が途絶え、ミラノ公国は終焉した。
- イタリア戦争後のカトー・カンブレジ条約によりミラノは神聖ローマ帝国、次いでスペインハプスブルク家の統治下に入った。ナポレオンは、1796年のイタリア戦役 (1796-1797年)でオーストリア人を追い出し、ミラノをイタリア王国の首都とした。1815年、ミラノは、ロンバルド=ヴェネト王国として再びオーストリアの手に戻った。
- 1848年にミラノはイタリア統一運動の中心地となり、1859年の第二次イタリア独立戦争のソルフェリーノの戦いの結果、オーストリアはイタリアに対する影響力を喪失し、フランスの援助を受けたサルデーニャ王国がミラノをオーストリアから奪取した。1861年にミラノはイタリア王国の一部に編入され、引き続き発展した。
ミラノへの行き方
- 飛行機:全日空が羽田ーミラノ間の直行便を飛ばしています。
- 電車:パリ ー ミラノ 約7時間
- 電車:ローマ ー ミラノ 約4時間 約90ユーロ
- 電車:ヴェネツィア ー ミラノ 約2時間半 約50ユーロ
- 移動費用の確認や掛かる時間など詳細はこちらからご確認ください。
哲太郎のイタリアドライブ旅行 ルート
- 南仏ドライブ旅行の流れでサンレモ~ヴェネチアまで旅行しました。フランス編は以前書いたので下記よりご覧ください。
2.フランスを旅しよう! 22都市紹介
哲太郎、フランスの地方都市をいろいろブログで紹介してくれたけど、ちょっと纏めてくれよ。投稿記事のままじゃ解り辛いよ。解りました。「フランスを旅しよう!」って固定ページでまとめてみますね。サイドメニューにも同じタイトルで載せておきますね。
- フランスコートダジュール マントン伯(南フランスの旅)
- マントン ー サンレモ ー ジェノヴァ泊
- ジェノヴァ ー ミラノ泊
- ミラノ ー ベローナ ー パドバ泊
- パドバ ー ヴェネチア泊
ミラノ 見どころ 8選!
ドゥオーモ (ミラノ大聖堂)
- 1386年から400年以上も掛けてら建設されたミラノのシンボル「ドゥオモ」。正式名称はサンタ・マリア・ナシェンテ教会「生まれつつある聖母のための教会」。
- 美しい外観、荘厳な内装も十分な見どころですが、屋上もお勧め、守護聖母マドンナーニと135の守護聖人像があり、ミラノを一望できる壮観な景色です。
- 住所:Piazza del Duomo, 20122 Milano
ヴィットリーオ エマヌエーレ2世のガッレリア
- ドゥオモ横にあるガレリア。1865年から1877年に建築家ジュゼッペ・メンゴーニにより建築された巨大なガラス天井のショッピングモールです。
- 人気スポットは、床タイルのトリノの紋章の牡牛。この牛を踏みつけると幸せになると言われ、順番待ちの列ができるほどです。
- 住所:Galleria Vittorio Emanuele II, 20121 Milano
スフォルツェスコ城
- 14世紀後半、ヴィスコンティ家により建設され、スフォルツァ家が継ぎ、増改築した居城。ミラノ公国黄金期の建物として人気。
- 城内博物館には、ミケランジェロ最後の作品「ロンダニーニのピエタ」が展示され、またイタリアの高級車アルファロメオがこの城のヴィスコンティ家の紋章を使用していることも有名。
- 住所:Piazza Castello, 20121 Milano MI, イタリア
サンタ マリア デッレ グラツィエ教会
- この教会で有名なのは何と言ってもユネスコの世界遺産に登録されているレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』。修道院の食堂の壁に1495年から3年がかりで420×910cmの大きさで描かれた大作です。
- 現在、見学は完全予約になっており、直接ホームページ予約が必要です
- 住所:Piazza S. M. delle Grazie
- この絵は依然書いた「ダヴィンチコード考察」の主題です。頑張って書いたのでちょっと読んでみてください。
ダ・ヴィンチ・コード考察! マグダラのマリアは娼婦なのか?イエスの後継者なのか? カトリック教会に消された真実?
映画「ダビンチコード」を見たんだけど、なんか難しくて良く判らなかった。ちょっと解説してくれよ。マグダラのマリアっていったい何なの?私も大好きな映画ですダビンチコード。誰もが元娼婦と位置付けていたマグダラのマリアが実はイエスの後継者なのだというのが映画のストーリーの軸。
サン ロレンツォ マッジョーレ教会
- サン・ロレンツォ聖堂は4世紀末から5世紀初頭に建築され、何度も修復を重ねられ現在に至っている。
- 外観の特徴は古代ローマ時代から残る16本の円柱。内部の見どころは聖アクイリーノ礼拝堂。当時のモザイクの壁画などを見学できます。
- 住所:Corso Magenta, 15, Milano
スカラ座
- 1778年、ジュゼッペ・ピエルマリーニの設計によりスカラ座が建設されました。イタリアだけでなくヨーロッパのオペラ座においても最も重要な劇場の一つです。
- 内部にはスカラ座博物館が併設され、劇場の歴史と結びついた資料や人物に関する数多くのコレクションを見学することができます。また劇場内部も見学できます。
- 住所:Piazza della Scala 2
ナヴィリオ運河地区
- 13世紀半ばにすでに船の航行が可能だったナヴィリオ・グランデと呼ばれる大運河、歴史的に重要な商業通路となり、街の建造に大きな役割を果たしました。
- Vicolo dei Lavandai(洗濯路地)と呼ばれる一角には、屋根のついた洗濯場が当時のまま残され、当時の庶民の生活も垣間見ることができます。
ブレラ絵画館
- 16世紀にM.バッシによって着工され、1651年リキーニによって完成されたブレラ絵画館。2本の円柱が支えるアーチの回廊が美しい広い中庭があります。
- 15~18世紀のロンバルディア派とヴェネチア派を中心に、見どころとしてはラファエロの『聖母の婚礼』、アンドレア・マンテーニャの『死せるキリスト』、ジョヴァンニ・ベリーニの『ピエタ』、ピエロ・デラ・フランチェスカの『ブレラの祭壇画』が有ります。
- 住所:Via Brera 28, Milano Italy
ミラノ まとめ
- 田舎者の哲太郎はミラノは都会過ぎてなんだかなあって思ってきたけど、今回、ミラノの歴史を知らべてみたらミラノが好きになった。こんなにも色々な国に支配された歴史を持っていながら、今は世界の最先端の街ミラノ。
- ミラノと言ったらまずはドゥオーモの迫力。外見だけでなく、内部の荘厳さ、屋上に登って街を一望する贅沢。次はガッレリア、こんな素敵なアーケードが100年以上も前からあるなんて流石イタリア。
- 次はサンタ マリア デッレ グラツィエ教会のダヴィンチの「最後の晩餐」、ミラノは3回訪れてこの絵は1回しか見れていない。次回は予約してゆっくりの見たいなあ。
コメント